感覚と感情に素直になる

最後に自分の感覚を意識したのはいつだっただろうか?

 

今自分は何に視線を向けている?

今自分の耳にどのような音が流れ込んでいる?

今触れているものの感触は?

今口に入れたものはどんな味がする?

今嗅いでいる匂いを表現するとしたら?

 

私の場合は、旅行とか印象に残るイベントとかだった気がする。もうその感覚は覚えていないけれど。

 

人は五感を通して外界を認識するから、鮮明な感覚は自分の存在証明の一つの要素かもしれない。

 

現代社会で忙しなく生きていたら、感覚をゆっくり味わう余裕なんてない。自分を生きている感じがしない人は、口にしないだけで結構多いのではなかろうか。

 

最後に自分の感情を爆発させたのはいつだったろうか?

 

体全体で喜怒哀楽を表現したのは?

 

私は今朝、ナンパ用の感情解放トレーニングをした時だ。

 

良い大人は普通激情なんて出さない。それが社会で上手くやるルール。たとえ腹の中にどんな感情を抱えていてもだ。仕事に忙殺されて1年も感情を出さなければ、出し方すら忘れる。

 

感情は感覚からの情報に対する人間の生理的な反応だ。それが社会のルールで抑圧されるとどうなるか。

 

私は学者じゃないから正確なことは言えないが、生きる気力がなくなる、欲がなくなる、そんな感じではないか。

 

まとまりがなくなってしまったが、感覚と感情に素直になることは生きていく上で重要である。しかし、現代社会では意識しなければそれは難しいということだ。

 

擦れている頃の自分でも、なんとなく危機感を持って自己啓発本を読めば、著者のように全力で生きたいと思ったものだ。たいてい3日坊主で終わっていたものだが、あれは感覚と感情に素直な状態を忘れてしまったからなのかもしれない。というのも本当に欲しいものの手触りを忘れてしまったら、努力するモチベーションなど続くわけがない。

 

まず感覚と感情に素直になることから始めよう。

 

ナンパでLGできたら変な踊りを始めるくらい嬉しい。

職場のクソみたいな横紙破りのルールにはうんざりで小一時間怒鳴りたくなる。

決めたことを実行できなければ、自分を消したくなるほど悔しい。

自分の好きなグラビアを見るのは楽しい、というかムラムラする。

 

大学に入るまでの自分は素直になれなかった。社会人になってからは、忙しさを言い訳にして感情を殺して思考をやめていた。仕事と人間関係から生じる鮮明な感覚と感情が生々し過ぎて耐えられなかったのだ。

 

そして今、少し余裕がある職場配置で自分の主導権を取り戻したところというわけだ。

今度こそ自分がどんな状況にあっても自分だけの感覚と感情を受け止めたい。

 

そんな信念が形になった時、ナンパも上手くいく…かもしれない。